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有限会社井上工業所(Inoue Industry Place)の歴史
セメントの重袋から紙袋へ、時代に沿った変化で成長
有限会社井上工業所は昭和22年4月に初代の代表井上卯一郎が大阪市北区に起した会社です。
初代、卯一郎は、セメント袋などの重袋を中心に商いを広げ、景気の変動にも上手く乗り多くのお得意先様を増やし、重袋部門から販路を広げ、日本の繊維景気にも影響を受けOPP袋も手掛け、繊維会社にもお得意様を増やし、重袋、OPP袋の販路を広げました。
その後、二代目の井上克二に代表に代わり、多くの繊維会社との商いを増やし、OPP袋の販路を広げました。国内繊維会社は日本の景気とともに大きくなり、ともに弊社も商いを増やし販路拡大に努めました。
その後、衣料品の生産が徐々に海外に移り、海外で衣料品を作り、国内に衣料品を輸入し、日本製のOPP袋にいれかえていたそうです。その頃はまだ海外でのOPP袋の品質が悪く使い物にならなかったそうです。
好景気に伴い、衣料品の輸入量も増え、国内で入れ替えるOPP袋の需要も大きくなり、
重袋部門を縮小、時代の変化とともに、繊維関連の資材を主な商品に変わっていきました。
しかし、海外でのOPP袋の品質も上がり、国内でのOPP袋の入れ替えなしでも、通用する製品が少しずつ増えてきました。
OPP袋の販路が縮小する事を予期した、二代目、克二は多くの繊維会社とのつながりもある事から、軽袋すなわち、紙袋、手提げ袋の製造販売の販路を広げ、昔に培った重袋の技術もあり、安価で良質の紙袋、手提げ袋をOPP袋の代わり、主力の製品にしました。
またも、好景気や多くの人脈もあり、多くの顧客を増やし、大手ホテルリーガロイヤルホテルグループの紙袋、手提げ袋を一手に受注により、リーガロイヤルホテルグループホテルの需要に応える生産力を得る為、工場を現在の大阪市都島区に移転後も、グループ傘下のホテル向けの紙袋、手提げ袋を受注し、紙袋部門が大きくなりました。
その後、三代目、私、井上幸次が代表に変わり、時代の流れを読み、インターネット販売事業に着手、紙袋、手提げ袋生産メーカー対ユーザー様、今までではありえない密着した販売が出来るようになり、紙袋生産メーカーから直接ユーザー様へ、つまり、今まで存在していた中間業者、問屋、などがなくなりお客様に中間業者マージンの掛っていない、純粋な紙袋の価格でご案内出来るようになり、全国のお客様より「安いですね」、のお声を直接頂き現在も着実にお客様を増やし続け、品質は落とさず良い製品で有り、安価に皆様に少しでも、紙袋、手提げ袋のコストを少なくできる様にこれからも、品質は落とさず良い製品でありながら、安価な紙袋、手提げ袋を全国の皆様にお届けしていきたいと思っています。